よろずメモ


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◇歴代奉納順◇

飯積神社例大祭における、各太鼓台の奉納順
(確認できた限り)。

【平成18年】
  一番 飯岡本郷
二番 野口
三番 船屋
四番 上本郷
五番 上組
六番 下組
七番 下本郷
八番 岸影
九番 大谷
十番 喜来

【平成17年】
  一番 飯岡本郷
二番 大谷
三番 下本郷
四番 下組
五番 岸影
六番 上本郷
七番 船屋
八番 喜来
九番 野口
十番 上組

【平成15年】
  一番 大谷
二番 岸影
三番 上本郷
四番 船屋
五番 下本郷
六番 上組
七番 下組
八番 喜来
九番 野口
十番 飯岡本郷

【平成11年】
  一番 大谷
二番 下本郷
三番 岸影
四番 飯岡本郷
五番 上本郷
六番 下組
七番 野口
八番 上組
九番 船屋
十番 喜来

【平成8年】
  一番 岸影
二番 船屋
三番 大谷
四番 飯岡本郷
五番 下本郷
六番 上本郷
七番 上組
八番 野口
九番 下組
十番 喜来

【平成元年】
  一番 船屋
二番 岸影
三番 飯岡本郷
四番 野口
五番 上組
六番 下組
七番 下本郷
八番 大谷

【昭和58年】
  一番 野口
二番 下本郷
三番 岸影
四番 飯岡本郷
五番 上組
六番 船屋
七番 下組
八番 大谷


(平成18年の奉納順につきましては、メールにて情報をいただきました)
(情報ありがとうございました)



◇地図◇



各地区と太鼓台保有自治会の位置関係




祭礼神楽場および他イベント会場の位置関係
@ …… しまやま
A …… ふなや
B …… むろかわ
C …… はちまんしゃ
D …… うずゐ
E …… M2大生院店
F …… フジ玉津店
G …… Mac大生院店



◇年表◇(飯岡・下島山・船屋関連は赤、大生院関連は青)


1585(天正13)年大生院村、小早川隆景の所領となる
1587(天正15)年大生院村、福島正則に属す
1600(慶長5)年大生院村、加藤嘉明に属す
1627(寛永4)年大生院村、蒲生忠則に属す
1633(寛永10)年大生院村、一柳家に属す
1636(寛永13)年大生院村・上島山村・半田村、小松藩領となる
1875(明治8)年半田村・下半田村(西条藩領半田村)・上島山村が合併して飯岡村となる
1889(明治22)年下島山村・船屋村、玉津村・朔日村・新田村と合併して玉津村となる
1911(明治44)年岸影、川東、川西、上組、下組、船屋、大谷、半田、計8台の奉納記録あり
1911(明治44)年以降大谷と半田の大喧嘩があり、両部落は太鼓台を処分
明治年間頃飯積神社の例祭日、新暦の11月2、3日となる
それ以前は旧暦9月15、16日(新暦換算で10月中旬〜下旬頃)であった
大正年間頃飯積神社の例祭日、新暦の10月23、24日となる
明治〜大正〜昭和の間に何度か変わった模様
1920(大正9)年岸影太鼓台、新調(何代目かは不明)
1921(大正10)年頃飯岡本郷太鼓台、新調(2代目らしい)
1925(大正14)年2月玉津村(下島山・船屋含む)・大町村・神拝村、西条町へ編入
1926(大正15)年10月川東と船屋の大喧嘩があり、宮司および他の4台の太鼓台総代が仲裁の労をとる
1931(昭和6)年下島山上組太鼓台(何代目かは不明)、新調
1941(昭和16)年4月飯岡村、西条町・神戸村・橘村・氷見町と合併し、西条市の市制施行
1945(昭和20)年終戦により祭礼中止
1946(昭和21)年飯積神社の例祭日、現在の10月16、17日に定まる
1955(昭和30)年3月大生院村、船木・泉川・中萩3か町村とともに新居浜市に編入合併
1956(昭和31)年9月大生院西部地区、西条市へ分離編入
1959(昭和34)年岸影太鼓台、新調
1976(昭和51)年下島山下組太鼓台、新調(何代目かは不明)
下本郷太鼓台(初代)、創建
1981(昭和56)年大谷太鼓台、旧下島山上組太鼓台を譲り受け復活
下島山上組太鼓台、新調
1982(昭和57)年飯岡本郷太鼓台・野口太鼓台、新調(ともに3代目らしい)
1983(昭和58)年大谷太鼓台、新調
上本郷自治会、松神子より子供太鼓を購入
1984(昭和59)年下本郷太鼓台(2代目)、昭和58年から2年がかりで新調
1992(平成4)年岸影太鼓台、新調
1993(平成5)年上本郷太鼓台(初代)、新調
1993(平成5)年11月岸影太鼓台・飯岡本郷太鼓台が第61回伊勢式年遷宮祭に参加
1996(平成8)年船屋太鼓台、新調(何代目かは不明)
喜来太鼓台(初代)、創建
2001(平成13)年8月大生院地区の4太鼓台が新居浜市太鼓祭り推進委員会に加入




◇ホントにただのメモ◇

飯積地域はかつて嶋山郷と号され、平安時代中期編纂の和名抄の、新居郡内にその名が見られる。

深谷寺古文書に「島山以東を東條といい、島山以西を西條という」 との記述がある。 昔から新居浜と西条の文化圏の境界線と言える地域だったのかもしれない。

飯岡本郷は平成20年に新調。 以前、株式会社 金鱗(合田縫師)さんのホームページに、旧飯岡本郷太鼓台の売り広告が出ていた。 旧太鼓台は平成19年まで運用されて、現在の太鼓台は合田縫師により制作・新調された。

旧飯岡本郷太鼓台は同じ飯岡の亀の甲・八幡原に売却された。 当初、新営の太鼓台は飯積の本祭りには参加せず、原八幡神社の祭礼にのみ参加するという話もあったが、 平成20年より、飯岡八幡太鼓台として飯積神社祭礼に参加し、これで飯積氏子の太鼓台は全11台となった。


――文章ここまで。
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